私が嫁いだのが、20代前半。
長男の嫁として深く考える事もなく同居を開始しました。
決して強制された訳ではありません。
義両親・義妹・義弟・義祖父・主人・私の7人家族。
長女が生まれて8人家族。
考えるとずっと大家族。
義父は、トラックの運転手で夜中に家を出ます。
義母は、専業主婦。家を支えます。
実家の両親と真逆。
実父は、サラリーマン。
日曜は自分の為だけに時間を使う人でした。
昭和の男性にありがちな、何もしない父親像。
実母もまた、月曜から土曜まで働いていました。
帰宅後は、畑仕事。
休日も家事・子育て・畑仕事。
常に体を動かしていました。
子供の頃から、当たり前の様に家事をする事に抵抗がなかったのは、そんな実母を見て育ったからだと思います。
齋藤家に嫁いで一番ビックリしたのは、
畑仕事を専業主婦の義母ではなく、
仕事から帰ってきた義父がしていた事でした。
私は、実母しか畑仕事をしている所を見ていなかったので
普通は、男性が畑仕事をメインでするものなんだ。
カルチャーショックを受けたのを覚えています。
また、ある時は石油ストーブの灯油をタンクに入れようとした時も
料理をするんだからと、義父が灯油を代わりに入れてくれました。
あ〜そう言うもんなんだ。これまた感動。
こんな事に感動するなんて、
実父は非常識的に感じるかもしれません。
ただ単に朝早くから夜遅くまで家にいない時間が多かったのも
理由の一つでもあります。
嫁いで、いい面ばかりでは勿論ありません。
子育て中の頃には、苦い思いも沢山しました。
子供が小学生の頃に、
自分の食べた食器は自分で洗う習慣をつけさせていた所
可哀想に、ばあが洗うからいいよ!
真逆の事を言われ
子供達は、ラッキーくらいに思っていたのだと思います。
日常の些細な事の考えの食い違いに
同居の難しさを感じていました。
中学生の時も、通学に使う自転車を玄関前にスタンバイしていたり
どう見ても甘やかし過ぎ。やりすぎ。
と思っていました。
今思い返してみると、
孫可愛さゆえの行動だったんだなって思います。
そんなこんな、山あり谷ありの大家族生活。
末娘も今年は成人式を迎える年。前撮りした時に一枚撮りました。
髪染めてますが、とても素直に育ちました。(親ばか、笑)
無事に迎えられるのも、義両親あってこそです。
子育て中の時に、あーしておけば、こーしておけばよかったと
後悔した事も沢山あります。
安東先生のYouTubeでも、子供の年代別に片付けをテーマにしてお話しされてます。
是非ご覧ください。
次回からBefore・afterをお伝えします。